移動の進化を振り返るその5~いよいよ自動車・飛行機が登場~

移動の進化を振り返るその5~いよいよ自動車・飛行機が登場~

今回で5回目を迎えるこのシリーズもいよいよ佳境。この回では現在でも進化し続ける自動車・飛行機が登場します。そして、鉄道と自動車の中間に登場するのが、誰もが一度は運転したことがあるであろう自転車です。構造が極めてシンプルで操作も容易な自転車ですが、実はその発明と進化・普及がなければモビリティは進化しなかったとさえ言われている、重要な存在なのです。

庶民の便利なモビリティ「自転車」が果たした役割とは

二輪自転車の祖先は、1812年ドイツ人発明家によって製作された「ドライジーネ」という乗り物。ドライジーネには、前後同径の車輪と走行方向を変えられるハンドルが備わっていましたが、ペダルやチェーンなどの駆動装置はなく、足で地面をけることで走る仕組みでした。商品として初めて量産された自転車は、1861年にフランスで販売されたミショー型ですが、今の三輪車のように前輪についたペダルを漕ぐことで前進する仕組みだったため、「ペダルを踏む力=速さ」にしか過ぎず、それほど普及しませんでした。

その後、スピードを追求するために前輪を巨大化させた、「ペニー・ファージング型」の自転車が1870年頃から英国で販売され、おもにレースシーンで好評を博すも高重心で安定性に欠け、高所座席からの転落事故が相次いだことで、こちらも爆発的な普及には至らなかったのです。

それから1880年代に入ってようやく後輪がチェーンで駆動し、サドルが低位置で安定性に優れた自転車が発明されます。 Bicycleの語源である「ビシクレット」と名付けられたこの自転車の原型に改良が繰り返され、1885年には現在の自転車にほど近い「ローバー安全型自転車」が登場します。このローバー自転車は爆発的に売れ、スピードは出るものの危険なペニー・ファ―ジング型を「あっ」という間に駆逐。ついに自転車は限られた用途ではなく、手軽な移動手段として市民権を得ることになるのです。

ただ、この頃の自転車の車輪は木製か、せいぜい空気ナシのゴムが装着されている程度だったため、ボーンシェーカー(骨ゆすり)と揶揄されるほど乗り心地が悪く、当時の道路舗装状況もあって今のように長時間乗りつけられる代物ではありませんでした。

しかし1888年、スコットランドの獣医師・ジョン・ボイド・ダンロップの大発明により、自転車の乗り心地と速度が大幅に向上し、ひいては以降のモビリティ発展にも絶大な影響を与えることになります。それが、「チューブ式空気入りタイヤ」の実用化でした。

ダンロップは10年近く獣医として働いたエジンバラから、約300km離れたベルファストへ馬車で転居した際、総ゴム車輪だった馬車の乗り心地の悪さに心底辟易し、乗り心地の良い空気入りのタイヤの発明を決意します。彼は、デコボコ道で転びやすい息子の三輪車のために、車輪に病気でパンパンに膨れ上がった「牛の腸」からヒントを得た、空気入りのゴム袋を巻きつけます。それが世界初のチューブの誕生であり、現在でもほとんどの自転車がチューブ式ゴムタイヤを採用しています。

そして、自転車より格段に重いうえ速く走行する、自動車や飛行機に装着されるタイヤも、技術革新による性能・耐久性・寿命などの向上はあるにせよ、ダンロップ自身の体験と息子への愛情で誕生した、チューブ式タイヤが進化したものに他ならないのです。

自転車+原動機=自動車という発想~モータリゼーション時代の幕開け~

決まった路線を走行する鉄道より、自分の意思で好きな場所へ移動できるうえ、馬や船より自在に方向転換がしやすい。空気入りタイヤによって乗り心地も優れた自転車に、何かしらの原動機を組み込もうという発想が生まれるのは当然の流れかもしれません。

真っ先に搭載が進んだのは蒸気機関でした。実は蒸気機関車が誕生する30年以上前の1769年、フランスのエンジニアである二コラ・ジョゼフ・キニューの手で、世界初となる「蒸気式自動車」が開発されています。軍隊の大砲運搬を目的に開発された3輪構造の車体は、非常に重く頑丈だったため車速が10km程度しか出なかったそうですが、操舵機能が備わっていることで性能や馬力が向上し、従来まで依存していた馬牽引車両を淘汰することになります。

また、電気自動車の歴史もガソリン車より古く、1873年にイギリスで電気式四輪トラックが実用化されたほか、世界で初めて時速100km越えを果たしたのも実は電気自動車です。しかし、前者は衝撃による爆発事故の発生などにより、100年以上開発が続けられたものの実用化に至らず、後者は開発・製造コストが高額だったためどちらかと言えば、技術力をアピールするモーターショーで披露される存在に留まります。

自動車がモビリティとして、「主役」の座に登り詰めたのは19世紀末期になってからで、ドイツ人エンジニアの「ゴットリープ・ダイムラー」が、現在主流である4サイクル式ガソリンエンジンを開発して1885年に木製二輪車へ搭載し、試走に成功します。翌年、ダイムラーは4輪ガソリン自動車を、同じドイツ人である「カール・ベンツ」も3輪ガソリン自動車を完成させ、実際に販売を開始しています。その後、ダイムラー製エンジンの製造ライセンスを持っていた、フランスのパナール・ルヴァソール社が、車体前方に積んだエンジンの後方にクラッチ・トランスミッションを縦一列に並べ、デフ機構を介し後輪を駆動させるいわゆる「FR方式」を考案します。

1900年代に入ると前述した空気入りタイヤと、円盤状のステアリング・ハンドルが採用され、乗り心地や操作性が格段に向上した車は、富裕層を中心に新たな「ステータス・シンボル」としての地位を固めていきます。誕生の地である欧州では長く「貴族の乗り物」に過ぎなかった自動車ですが、国土が広大で馬車に代わる移動手段を求めていた米国では、自動車の量産・大衆化への機運が強く、1908年に登場した累計生産台数1500万台超を誇る、「T型フォード」がその象徴とも言えるでしょう。

大衆化に出遅れた欧州でも、第二次世界大戦でのガソリン車運用をきっかけに、独・フォルクス車の「ワーゲン・ビートル」が欧州全土だけでなく戦後、世界中に普及していきました。

国内に目を移すと、本格的な国産自動車開発が進んだのは第二次世界大戦後からです。昭和7年に設立されたダットサン商会(日産の前身)や、翌年誕生したトヨタ自動車が中心となり、海外に負けない大衆車の開発と大量生産を目指して邁進します。

高度成長期に入ると、通産省が「国民車構想」を打ち出したことや、国民生活水準の向上も手伝って、欧米から数年後れで自動車産業の黄金時代が到来、「カローラVSサニー」「コロナVSブルーバード」など、トヨタと日産の販売競争が激化します。併せて、クラウンやスカイラインなどの上級クラス車種が登場し始めたほか、1960年代になるとトヨタ・2000GTや、日産・フェアレディ‐Zなどといった国産スポーツカーも颯爽と登場。

伝説を作った「スカイラインGT-R」を始めとする国産スポーツが国内外のレースで華々しい成績を収めた80年中盤~90年代は、バブル景気も相まって国産スポーツは国内のみならず、欧米市場も席巻する全盛期を迎えることになります。その後、バブル崩壊で経営が悪化した国内メーカーは不採算車種の整理を進め、多くの高級車やスポーツカーが姿を消し、燃料高騰の影響によってプリウスやアクアなどのHV車やコンパクトトカー、それに軽自動車が主役の座に就きます。

加えて、リーフを始めとする電気自動車も徐々に普及が進み、自動運転技術との相性の良さから今後さらに伸びていく分野だと考えられますが、その一方でトヨタ・スープラやホンダ・NSXといった、往年の名スポーツ車が近年復活を果たしています。とはいえ、やはりエコカーを中心に自動車は進化していくでしょうが、誕生から約130年を経た現在でもガソリン車の存在は大きく、先進技術を採用した数多くの新型モデルが今後も登場すると考えられます。

翼を得た人類はついに大空へ~空を制する日~

1902年12月、ライト兄弟が自作のガソリンエンジンを搭載した飛行機で、有人飛行に初成功したことは有名ですが、「ライトフライヤー号」と名付けられた同機はただ飛んだだけではなく、目的地へ確実に到達できる移動手段としての性能を有していました。

飛行機は方向転換するため、左右の揚力バランスを変え機体を傾ける「バンク機構」が不可欠ですが、ライトフライヤー号は主翼を逆方向にねじることによりそれを実装した、画期的かつアイデアに富んだ飛行機だったのがポイントです。

現在の飛行機は「主翼ねじり」ではなく、エルロンという補助翼の操作でバンクが実施されるものの、パイロットに意思で自由に方向転換可能な装置を導入したことこそ、ライト兄弟最大の偉業であると言えるでしょう。以降、飛行機は「より速く・高く・長く」飛行できるように改良が続けられます。そして陸上だけではなく海面や軍艦の甲板での離着陸が可能になると、欧米各国はこぞって開発に資金と人員を投入し、戦闘機や雷撃機など軍事的用途から普及が進んでいくことになります。

第一次世界大戦中は、プロペラを採用した「レシプロ機」が主力として最新機種が戦線に投入されましたが、型落ち機種は民間にも払い下げられ、小型機は郵便運送に利用されたほか、大型機は一部富裕層の旅客機としても活躍していたようです。第二次世界大戦に突入したころには飛行機が戦闘の主役となり、陸・海問わず制空権を握ることが勝利に直結したため開発競争はさらに激化し、世界中で敵機を震え上がらせた日本の「ゼロ戦」やドイツの「メッサーシュミット」など、名レシプロ戦闘機が誕生。

対する米・英国陣営は、豊富な資源を背景に「ボーイング・B‐29」などといった重爆撃機による空襲や、併せてスピットファイヤやP-51などゼロ戦を凌駕する性能を持つ戦闘機を次々に投入し、瞬く間に制空権を奪取して戦局を優位に進めました。大戦末期には、現在大型旅客機や輸送機に採用されている「ジェットエンジン」が完成し、朝鮮戦争やベトナム戦争での運用と改良を経て、ついに飛行機は音速・マッハを超えるスピードを手にします。

飛行機が旅客機や輸送機として本格的に民間利用され始めたのは、冷戦が終結に向かい始めた1970年代に入ってからです。長距離弾道ミサイルの登場で爆撃機の受注が無くなったため、欧米の航空機メーカーは時代に併せ、民間への航空機提供へ主軸を置くようになります。日本でも、ジャンボジェットの愛称で親しまれている、ボーイング・747を始めとする大型旅客機が同時期に導入され、長距離のリーズナブルな渡航が可能となりこれまで高根の花だった空の旅、特に「海外旅行」が一気に大衆化しました。

また、機体の大型化と導入機数の増加に伴い、貨物船より数段スピードで勝る飛行機は物流の分野でも当然のように大活躍、今や大量の人とモノを世界中でピストン輸送する、モビリティの「中核的存在」に成長しています。

まとめ

有史以降長きに渡り、陸上と海上だけを移動してきた人類は、航空機によって空を旅する力を得ましたが、現状モビリティの主力は自動車です。自動車が船舶や鉄道と密に連携することで今の交通システムがスムーズに機能し、自転車も手軽に移動できるツールとしてシェア化が進んでいるほか、ラストワンマイルの物流にドローンが導入されるなど、今まさにモビリティは大変革の時期を迎えています。

自動車業界がモビリティの中核を担い続けるためには、燃費や安全性能の向上はもとより、IoTを活用した高度な自動運転導入を急ピッチで進めて自動車を単なる移動手段から「サービス」へ進化させ、間近に迫ったMaaS時代に備える必要があるのではないでしょうか。

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